「やっぱり無謀かな」 材料とレシピノートを抱えて 建物の前で佇む。 奥では同じように 夢に向かう職人さんたちが せっせと準備をしている。

「よし、行こう」 こんなに胸がドキドキしたのは いつぶりだろう。 子育て中の胸の高鳴りとはまた違う なんとも言えない高揚感。

「よろしくお願いします」 8人でシェアするキッチンでは ベーグル屋さんにマドレーヌ屋さん 個性豊かな職人さんたちが 集まっている。

「何を作るんですか？」 マスクの下からにっこり笑うお隣さん。 「クッキーです。アメリカのクッキーみたいな、あまーいクッキー」 ほら、と試作品を見せると 「わぁ、美味しそう！」 とみんなが集まってくる。 あぁ、これがシェアキッチンか！

菓子製造業の免許を取ったシェアキッチンには ガスコンロ、コールドテーブル、冷蔵庫、オーブンレンジなど 一通りの調理設備が入っています。 子育てがひと段落して 「手作りクッキーをみんなに食べてもらいたい」 そんな思いから始めた私にとって いちから揃えなくてよいシェアキッチンは ぴったりだった。

ロッカーには お守りのレシピノートを。 あぁでもない、こうでもないと 何度も試作を重ねて 表紙はボロボロだ。

キッチンは1時間ごとにお金がかかる仕組み。 「子どもが帰るまでの時間でお店をやりたい」 そんな私のスタイルには ちょうどいい。

あまーい香りがしてきたら 袋に詰めて お店に出そう。

キッチンで作って すぐにお店に出せる。 おうちのキッチンみたいな感覚で 販売できるんです。

雰囲気のあるちょっとした小物や

レトロなドアノブ。 シェア店舗っていうと すごくシンプルなイメージだったけど こんな可愛らしい空間でお店を開けるなんて。

クッキー3種類と ホットコーヒー。 そんなシンプルなメニューで スタートした私のお店。 ドキドキしながら シェルフにクッキーを並べて 手書きのポップを添える。

「いらっしゃいませー」 お隣の職人さんが声を張る。 やって来たのは 大きなお腹の妊婦さん夫婦。

商品を眺める夫婦は 「お祝いに買っていこうか」と やさしい顔をしてお隣のお菓子を指さす。

ガッカリするような ホッとするような 不思議な気持ち。

「いらっしゃいませ、こんにちは」 お店を外から眺めている親子連れに 声をかける。 風船を持った女の子を見て 緊張が解けるのが分かった。

「お母さん、ここ入りたい」 「いいよ、見ていこうか」

「何のお店なんだろう」 そんな表情で お店を見渡すお母さん。

「私これがいい！！」 目の前で赤い風船が止まり 小さな手は私のクッキーを指差している。

「ここで食べられるのかしら？」　 「こ、こちらの椅子でお召し上がりいただけます。 コーヒーもございます！」 とベンチをご案内する。 「じゃあ、この子はチョコレートクッキーで、 私はコーヒーを」 やったぁ！と飛び跳ねる女の子。

初めてお客さんが買ってくれた 私のクッキー。 いろんな思いが駆け巡る。

毎日お菓子を焼いた子ども時代。 子どもをおんぶしながらお菓子を焼くのが心の支えだった日々。 「お菓子屋さんになりたい」と家族に話した日。 何度も何度も試作して、やっと「自分のクッキー」が完成した日。

「ん！おいひい！！」 頬張る女の子の顔を見て 思わず涙が出そうになった。

「ありがとうございました！」 「やったね」とお隣さんが にっこり笑ってくれる。

ここが、大きな夢に向かう私の 小さなお店。

文・よしだゆき 街散策とタイルをこよなく愛するフリーライター。元住宅情報誌編集者。築35年の中古マンションをフルリノベして暮らす2児の母。