「帰るのめんどい」 「じゃ泊まってけば」

そう提案した日から、 少しずつ増えていく 彼女の私物。 化粧水がお泊まり用の ミニボトルから 大きなタイプになるころには、 日常に彼女がいることが 当たり前になった。

私は早起き、 彼女は朝に弱い。 リビングのソファで眠る 彼女の寝顔をチラリと見て、 私は毎朝会社に出かける。 一緒に寝ればいいじゃんとは、 まだ言えない。 思ってはいるけど。

私は早寝で、 彼女は夜ふかし。 「テレビの音とか 寝るとき邪魔でしょ」と 洋室の間仕切りを 閉められそうになったけど、 「うるさくていいから 仕切りは閉めないで」と 彼女に伝えた。

彼女がふらりとこっちに 眠りにくる可能性を、 少しでも残しておきたい。 小さく絞った テレビの音を聞きながら、 今日もひとりで眠る。

明るいこの部屋は、 彼女の雰囲気に合う。 明るくて社交的。 服装も今どきでおしゃれ。 私とは全然違う。

自分で持ち込んだ漫画を ソファで読む彼女に、 「服装、変えようかな」と ポソリとつぶやいたら、 きょとんとした顔で こう返された。 「なんで？」

なんで、なんで。 理由を作ろうとする私に、 「変えたくないなら、 いいんじゃない」と 彼女は続けた。 「そのままで」

大きな窓から そよそよと入る風が、 彼女のふわふわの 茶色の髪を揺らす。 うっかりすると泣きそうで、 急いでトイレに逃げた。

トイレの色味は、 わたしに似合うと思う。 落ち着いたモスグリーン。 暗い色でいいんじゃなくて、 落ち着いた色が好きなのだ。 華やかさを諦めたんじゃなくて、 シックな雰囲気を選んだのだ。 したり顔であれやこれや アドバイスをしてくる赤の他人たちに、 そう言い返してやりたくなった。

ポテトチップスをおかずに カップラーメンを食べる 彼女の姿を見て、 最初は頭がクラクラした。 「うんまいから～」と 彼女はケラケラ笑う。 一口食べさせてもらったら、 意外と「…おいしい」。

だけどやっぱり 栄養面が心配なので、 残業がない日は なるべく私がキッチンに立つ。 3くちコンロを活用して、 彼女に野菜を食べさせてやりたい。

彼女が使うスキンケア用品は、 私の知らないものばかり。 増えたり減ったりする ボトルたちがおもしろい。

シャンプーも、 彼女のものはなんだかリッチ。 自分のストックがないときに 一度借りたら、 驚くほど髪がサラサラになった。 変化に気づいた彼女が、 からかうように言う。 「おんなじにおいじゃん」。 それが照れくさくて、 すぐに自分用の 安いシャンプーを補充した。

クローゼットはじわじわと 彼女に侵略されている。

別に、荷物は 少ないほうだからいいけど。 上の段に並べられた たくさんの漫画たち、 実は彼女がいない間に こっそり読んでる。 漫画っておもしろいんだな。

ベランダにはバジルや大葉。 育てているのはもちろん私。 興味がなさそうに 振舞っている彼女だけれど、 チラチラ成長の様子を 気にしているのは知っている。 指摘したら余計に 頑固になるから、 なんにも言わない。

そろそろ自分の家を 探してみようかと、 思い付きで言われないように。 もっと荷物を増やしていいよ。 漫画も服もコスメも、 たくさん置いておけばいい。

仕事で疲れて帰った部屋に、 あなたがいるのはけっこういい。 ヘラリとゆるく笑いながら 「おかえり」と言う声が、 まだまだ聞きたい。 私の覇気のない「ただいま」も 聞きたいと思ってくれていたら、 すごくうれしい。

文・くまのなな 東京都在住のフリーライター。1991年生まれ。漫画と水遊びとおもちが好きです。主にツイッターにいます。 @kmn_nana