色々と世の中が激変した今年の春先。
大学は休校、バイトもしばらく休み。

暇を持て余していた僕は
しばらくご無沙汰していた
じいちゃんちへ足を運んでみた。
自転車を走らせること30分程。

じいちゃんはいつものように
庭が見える和室の藤の椅子に座って
煙草の煙をくゆらせながら
庭を眺めていた。
「おお、元気か」
笑うと目がなくなるじいちゃんの笑顔は
昔から変わらない。
人と会って喋ること自体久々で
随分と色んな話をした。
大学で心理学部の教授をしていた
じいちゃんの話は、
昔はちんぷんかんぷんで退屈だったけど
今は非常に興味深い。

1人狭いアパートと近場の散歩のみで
鬱々としかけていた日常に
風が吹き込むようだった。
小学生の頃、じいちゃんに教わった将棋。
久しぶりに打ったけどボロ負けだった。

その日は僕が夕飯を作った。
じいちゃんちの台所に立つなんて、
恐らく小学生の夏休み以来、
10年ぶりだった。

それからサイクリングやジョギングがてら
週に数回寄るのが日課になった。
幼い頃、じいちゃんと一緒に虫捕りをしてた
緑地や原っぱを通り抜けていく。
懐かしくもあり、爽快だった。

子どもの頃には何とも思わなかった
この家の素晴らしさに
気付いたのはこの歳になってからだ。
こんもりした庭の緑の先に見える
三角屋根は、すごくモダンな気がする。
たてもの園で見た前川國男邸ぽさが
ちょっとあるな、とも思う。

小さな2階部分は
子どもの頃の僕にとっては
特別な場所だった。

特に2畳の部屋にこもって、
本棚や段ボールにぎっしり詰まった中から
読めそうな本、手塚治虫の漫画なんかを
選び出して読むのが楽しみでもあった。

じいちゃんちにいる間は
スマホを弄ることもほとんどない。
読書をするじいちゃんの横で
僕も2階の本棚や納戸から
適当な本を選んできて
畳に寝そべって読んだり
読書中のじいちゃんの横顔や
庭の花の絵をスケッチしたり。

特に会話がなくとも
静かに流れていく時間は
なんとも言えぬ心地よさがあった。

ある日の夕飯に作った
鰯の梅煮やひじきの煮付けを
じいちゃんは実に美味しそうに食べた。
「随分と料理がうまくなったな」
「小料理屋のバイトで色々教わったよ」
という話から
「アパートの家賃払うの、大変なんじゃないか」
と言われた。図星だった。
いつのまにか入ってきたカナブンが
ブーン、バチンバチン、と照明にぶつかる
音が部屋に響く。

好意に甘えて、
アパートはひとまず引き払い、
この2階部分が僕の居候部屋になった。

暑くなって伸び放題だった
庭の草むしりをし、
時々木々の剪定するようになった。
ばあちゃんが好きだった紫陽花は
毎年微妙に色味や濃さを変えて
もりもりと咲いている。

まだ朝の涼しいうち、
玄関から伸びるこの廊下を
雑巾掛けするのが僕の日課。
飴色がピカピカになるのが気持ち良い。

ついでに風呂やトイレもピカピカに
磨き上げる。
アパートではそんな掃除も
まともにしてなかったというのに。

夏の終わりの夕暮れ時。
近くの川辺を一緒に散歩して
商店街へ向かう。

焼き鳥の炭火のいいにおいに誘われて
「久々にビールでも飲むか」
と言われ、首をブンブン縦に振る。
店に入って一杯飲んだものの、
「やっぱり家が落ち着くな」
とボソっと呟くもんだから
結局、焼き鳥何本かをテイクアウトし
缶ビールを買って帰路につく。

じいちゃんが
この家や庭にどんだけ愛着を持って暮らしてきたか
というのは、一緒にいるとよくわかった。
この家と家族の思い出あれこれ、
庭の木々にまつわるあれこれ、は
くっきりとして、温かさに満ちている。

ビールをコップに注いで乾杯すると
庭のどこかから鈴虫の鳴き声がした。