哲学の道から紡がれていく僕の日常
この物件は現在は募集終了している可能性が高いです。過去物件のアーカイブとしてお楽しみ下さい。
人生を賭けて熱中できることを
はやいうちに見つけなさい。
そう両親や先生から言われてきた。
だけど、そんなに大切なことが
簡単に見つかるのだろうか。
いや、
見つけてしまってもいいのだろうか。
新卒で入った就職先では、
毎日がむしゃらに働いた。
5年間働いて、
自分の任されていた仕事が
落ち着いたタイミングで退職した。
これからの自分について、
ゆっくり考える時間が
欲しいと思ったからだ。
だからここへは一時滞在、
「人生のトランジット」
そんなつもりでやって来た。
哲学の道をゆらゆらと歩く。
明治の頃、
この辺りは
数多くの有名な文人たちが
住んでいたそうだ。
そして彼らもここで
様々なことに思案を巡らせていたのだろう。
ここが僕の家だ。
鬱蒼と茂る緑の中、刻が止まったような
懐かしさを感じる佇まいである。
ふと、足元に視線を落とすと
綺麗なカエルが一匹
静かにこちらを見つめている。
小さな身体を揺らしながら
懸命に息をしている君は、
その瞳の奥で何を考えているのだろう。
君にも「悩み」はあるのかい?
この街は世界でも有名な観光地「京都」。
毎日のようにたくさんの観光客が
国内外問わず訪れる場所。
だけど、ここは本当に静かで暮らしやすい。
耳を澄ましてみると
自然の音がいきいきと聴こえる。
都会の喧騒の中では
消されてしまうような繊細な音だ。
玄関の土間は掃き掃除がされ、
綺麗に手入れされていて気持ちがいい。
建物の共用部はレトロ感満載だ。
生活感は人様に
なるべく隠しておきたいものだけど、
そこに暮らす人たちの温度が
感じられる空間に
どこか親近感を覚える。
こんな所に一度は
住み着いてみたいと思っていた。
僕が過ごしている部屋はここ。
窓をガラガラと開けて
外の空気を感じながら
畳に寝転がると、心がやすらぐ。
クーラーはあまり得意ではない。
だけど、最近は
室内で熱中症になる人もいるし
無理は禁物だ。
だだ、多少のやせ我慢は
粋だと思っている。
そういう少し不器用なところは
父親似なのかもしれないな。
キッチンと居室の間には
2畳のスペースがある。
どう使ってやろうかと思っていたけれど
結局、今は何も置いていない。
部屋の余白が心の余白に
繋がっていると気づいたからだった。
お隣さんからいただいた
さやえんどうのスジを取っていると
段々おもしろくなってきた。
僕は単純な手作業が好きだ。
何も考えなくても良いからだ。
もしかすると人生も
何もない日常の連続で、
そこに深い意味なんて
最初からないのかもしれない。
ユニットバスの浴室には
グリーンとブルーのタイルが張られている。
これからの暑くなる季節には
この色が爽やかで目にうれしい。
家事は日常の中で多くを占めるイベントだ。
これがシンプルだけど奥が深い。
洗濯は共同の洗濯機を利用している。
どうすれば衣類を傷めず
より綺麗に洗えるか。
これは僕にとっての永遠のテーマである。
ここに住んでから、
大きな変化があったわけではない。
哲学の道を歩きながら
あれやこれやと考えていると
自分もちょっぴり高尚な人間になれたような気分になる。
だけど、また次の日には
いつも通りのちっぽけな僕に戻っていて。
そんな、
「特別なことがない」毎日を
愛おしいと感じるようになった。
流れに身を任せて、
もう少し気の赴くままに
ここで暮らしていきたい。
はやいうちに見つけなさい。
そう両親や先生から言われてきた。
だけど、そんなに大切なことが
簡単に見つかるのだろうか。
いや、
見つけてしまってもいいのだろうか。
新卒で入った就職先では、
毎日がむしゃらに働いた。
5年間働いて、
自分の任されていた仕事が
落ち着いたタイミングで退職した。
これからの自分について、
ゆっくり考える時間が
欲しいと思ったからだ。
だからここへは一時滞在、
「人生のトランジット」
そんなつもりでやって来た。
哲学の道をゆらゆらと歩く。
明治の頃、
この辺りは
数多くの有名な文人たちが
住んでいたそうだ。
そして彼らもここで
様々なことに思案を巡らせていたのだろう。
ここが僕の家だ。
鬱蒼と茂る緑の中、刻が止まったような
懐かしさを感じる佇まいである。
ふと、足元に視線を落とすと
綺麗なカエルが一匹
静かにこちらを見つめている。
小さな身体を揺らしながら
懸命に息をしている君は、
その瞳の奥で何を考えているのだろう。
君にも「悩み」はあるのかい?
この街は世界でも有名な観光地「京都」。
毎日のようにたくさんの観光客が
国内外問わず訪れる場所。
だけど、ここは本当に静かで暮らしやすい。
耳を澄ましてみると
自然の音がいきいきと聴こえる。
都会の喧騒の中では
消されてしまうような繊細な音だ。
玄関の土間は掃き掃除がされ、
綺麗に手入れされていて気持ちがいい。
建物の共用部はレトロ感満載だ。
生活感は人様に
なるべく隠しておきたいものだけど、
そこに暮らす人たちの温度が
感じられる空間に
どこか親近感を覚える。
こんな所に一度は
住み着いてみたいと思っていた。
僕が過ごしている部屋はここ。
窓をガラガラと開けて
外の空気を感じながら
畳に寝転がると、心がやすらぐ。
クーラーはあまり得意ではない。
だけど、最近は
室内で熱中症になる人もいるし
無理は禁物だ。
だだ、多少のやせ我慢は
粋だと思っている。
そういう少し不器用なところは
父親似なのかもしれないな。
キッチンと居室の間には
2畳のスペースがある。
どう使ってやろうかと思っていたけれど
結局、今は何も置いていない。
部屋の余白が心の余白に
繋がっていると気づいたからだった。
お隣さんからいただいた
さやえんどうのスジを取っていると
段々おもしろくなってきた。
僕は単純な手作業が好きだ。
何も考えなくても良いからだ。
もしかすると人生も
何もない日常の連続で、
そこに深い意味なんて
最初からないのかもしれない。
ユニットバスの浴室には
グリーンとブルーのタイルが張られている。
これからの暑くなる季節には
この色が爽やかで目にうれしい。
家事は日常の中で多くを占めるイベントだ。
これがシンプルだけど奥が深い。
洗濯は共同の洗濯機を利用している。
どうすれば衣類を傷めず
より綺麗に洗えるか。
これは僕にとっての永遠のテーマである。
ここに住んでから、
大きな変化があったわけではない。
哲学の道を歩きながら
あれやこれやと考えていると
自分もちょっぴり高尚な人間になれたような気分になる。
だけど、また次の日には
いつも通りのちっぽけな僕に戻っていて。
そんな、
「特別なことがない」毎日を
愛おしいと感じるようになった。
流れに身を任せて、
もう少し気の赴くままに
ここで暮らしていきたい。